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2009年8月15日 (土)

ヒロシマ

  「10,000人の写真展」 を目的に行ったヒロシマですが、やはり原爆ドームや平和記念公園、原爆資料館には行かなければと思います。朝からの豪雨もやみ、なんとか傘なしで歩けるようになった平和記念公園を歩きました。

 雨もやむとやはり観光地。外国の方も本当にたくさんいるのですが徐々に人出も増えてきました。平和記念公園に入るとすぐに目に飛び込んでくるのが原爆ドーム。旧広島市民球場のすぐ前にあたります。市電の駅からもすぐ近く。こんな町の真ん中に原爆ドームはあるんです。敷地は柵で囲まれていますが、鳥たちにとってはこんな柵なんか意味はなし。見上げるとドームには灰色のサギが1羽とまっていて、その横には鳩たちも行ったり来たり。原爆ドームの下の芝生の上にはカラスたちもちらほら。ここに原爆というものが落ちたことなど知るよしもない鳥たちにとって、この場所はいったいどういう場所なのかなぁと思います。

 平和記念公園に入れば、朝からの雨にも関わらず、多くの観光客が見られます。雨もあがってきたせいか、時間の経過と共に徐々にその数も増えていきました。昨年行った大阪城やお正月に行った浅草などでは韓国・中国などアジアからの観光客が多く見られたのですが、この平和記念公園の中ではアメリカ・ヨーロッパからと思われる白人・黒人の観光の方がたくさんおられるようでした。その雰囲気からしても「ヒロシマ」というものの意味というものは、より世界から注目されるものであることを感じますし、そうした人たちがまた関心を持って来てくれるということで平和の意味も考えさせられます。今年はオバマ大統領の核軍縮についての話もあり、一方では北朝鮮の核拡大の怖いニュースもあります。多くの外国の方と、原爆ドームの姿が重なるとそうしたことを思い出さずにはいられないものですね。

 この平和記念公園はしかし、一方では広島市民の憩いの場であることもこの旅行では強く感じました。ふと横を見るとジョギングする人、サイクリングする人、犬の散歩、ギターを持って歌う人、公園のベンチで横になる人、お弁当を食べる人・・・。原爆ドームや平和記念公園は私たち観光客にとっては「原爆の地」であるけれども、私たちにとっての原爆は非日常の世界。にわか反戦者であり、にわか反原爆論者に過ぎない。一方で毎日この光景を見つつ、実際に多くの体験や傷跡を持って暮らす人々の当たり前の毎日が、この平和記念公園にはある。その日常性の中にある人間の強さ。私は原爆ドームや反戦の火よりも、もしかしたらこうした市民がこの公園で過ごす姿にこそ、平和の願いがあるのかもしれないなぁと感じてしまいました。当たり前の毎日が、当たり前の人の姿がこの公園の中にあることこそ、とても素敵なことなのではないでしょうか。

 「Photo is 10,000人の写真展」をきっかけに訪れたヒロシマでした。そう思いながら考えてみれば、市井の人の写真で作られる「10,000人の写真展」もまた平和であること、人が当たり前に幸せであることをよく表している写真展だった気がします。優れた写真家の写真を見るのも素敵なことですが、「10,000人の写真展」はこの写真展があるという存在そのものにきっと素敵な意味があるのだと改めて思いました。富士フイルムさんと、たくさんのカメラ仲間の方に感謝を。

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