菅原正二さんの「サウンド オブ ジャズ」
今年一番最初の記事は、岩手県一関市にあるジャズ喫茶「ベイシー」の店主菅原正二さんの「サウンド オブ ジャズ」について書こうと決めていました。この本はもともとは「ジャス喫茶「ベイシー」の選択 酒とジムランの日々」として出版されたものの文庫化です。と言うより、「ステレオサウンド」誌に連載されている菅原さんのエッセイを収録したものという方が分かりやすいと思います。私は現在その「ステレオサウンド」誌が大好きで、毎号購入していることもあって、文庫と言っても、あらためて買うつもりはもともとありませんでした。だから、実際の発売は去年の初めでしたが、私が買ったのは11月に入ってからでした。そして、一度読み始めたら止まらなくなってしまいました。
オーディオという辺境の趣味は分かってもらえるようで、実はなかなか分かってもらえません。まあ、何でも趣味の世界は没頭している当人しかその楽しさはわからないのかもしれませんが、この本を読んでいると素直に、ああここにわかる人がいる、大先輩がいると思えるのです。
例えば、「ベイシー」で最初のスピーカーを自作するくだりがまず楽しい。部屋の柱を切ってエンクロージャーの支えにしたり、布団を吸音材にしてみたりと、それは破天荒なのだが、「スピーカーの気持ちになって考える」という菅原さんのポリシーはまさにオーディオマニアの心を揺さぶる。「スピーカーの気持ち」を本気で考える人はそんなことまでできるのかっとまず圧倒されてしまう。ひたすら音にのめり込む菅原さんの姿も尊敬に値する。ある日一瞬浮かび上がったコルトレーンの姿とはどんなものだっただろうと想像する。レコードプレーヤーのオイルに悩み、スピーカーケーブルのわずかな長さに音の違いを感じる。激しい音圧の中にさっと飛び込んで音のバランスを把握する。どれもこれも、オーディオマニアならやってそうな出来事だが、実際にそこまで追求する人がいるのかということに感動してしまう。私達もいくつかは経験し、チャレンジし、挫折しているが、菅原さんは全てやり尽くしているかのよう。それが菅原さんの日々の中ににじんでいる。だから、きっとこの方の音はすごいはずだと納得できる。もちろん、マニアの音には好き嫌いがあるわけで、万人が納得できる音があろうはずもない。そうではなくて、菅原さんの熱意のこもった、菅原さんらしい音なんだろうなぁと納得できる。オーディオはそれでいいんじゃないかと思う。
私も以前はニュートラルな音を目指していた。万能な音。原音に忠実であればどんな音楽も再生できるはずと思う。しかし、これは正しそうで正しくない。万人の音は、結局自分の好きな音、自分がひたりきれる音ではない。自分がひたれない音、感動しない音は楽しくない。そんな単純なことに気がつくのにだいぶかかった。もちろん、バランスは大事。個性と自分勝手はまた違う。結局、オーディオの世界はまだ未熟なもので、正しい音というのはたくさんあるのだ。これまで各メーカーの音をいろいろ聞いて、どれが正しいのか、ニュートラルなのかと考えていた自分がバカだったと気がついた。どのメーカーの人もみんな自分の正しい音を目指しているし、それに間違いはないのだ。それでもみんな個性がある。というか、個性ができる。それを買い、使う私達にも好き嫌いがある。それを否定してもはじまらない。結局自分はどんな音がうれしいんだろうと、自分に素直になれることが大事なんだと気がついた。菅原さんはまさに最初からそういう人だ。だから、エンクロージャーの中に布団があってもいいのだ。プレーヤーはケースのない裸のままでもかまわないし、ケーブルもメーカー品なんかでなくもいい。しかし、レコード針は自分の気に入った音が出るものを見つけるまでいくつでも取り替え続けるし、スピーカーのほんのわずかなズレも気に入らない。自分の思う音に正直なのだ。そこに自分のコルトレーンがいる。自分のベイシーが歌う。そうしたひたむきな人の音が悪かろうはずがないことを、私達は知っているのだ。
オーディオの話しも楽しいが、多くの人の出会いの話しもまた魅力的だ。オーディオ評論家の菅野沖彦先生がベイシーを訪れたときの話し。岩崎千明さんの豪快な個性。エルビン・ジョーンズの繊細かつ楽しい人柄。そうした出会いもまたオーディオの世界な気がする。オーディオは本来孤独な趣味だけれど、ネットの世界が広がって、多くの人の交流や世界の広がりを感じることができるようなった。楽しみが共有でき、仲間がいることが実感できる。この本にはそうしたたくさんの出会いもまた詰まっている。
「今は先見の明がある人は多いが、あきらめきれぬ人は希になった」と石山修武さんの言葉(「室内」1990年3月号 ”現代の職人”)を借りて、菅野さんは語る。僕はこの言葉が好きだ。「あきらめきれぬ人」。趣味の世界でも、仕事の世界でも、ものわかりがよくなったのでは何かが終わってしまう。結局こだわりのある人は「あきらめきれぬ人」なのだ。もう一つ、もう少しと思っている人が前に進む。泥臭くて、偏屈で、頭が固い。そういう生き方をしたいと思う。最近周りを見てもそういう人が少なくなった。若い人も、実はみんな利口になった。生きることや仕事のやり方が上手だ。器用でうまい。物事もよく知っている。でも、みんなサラサラしている。それがどうも気に入らない。オーディオもそうだ。どのシステムも平均点は高い。どんな製品でも聴けないような音はなくなった。ノイズだらけの製品なんてひとつもない。だからこそ、最近は高級機にはちゃんと個性があった方がいいと思うようになった。しっかりとした自分の音、信念があった方が音はよい。そうした製品が奏でる音楽は何かしら心に触れるものがある。
この小さな文庫本はそんなことを教えてくれる。「ステレオサウンド」を読んでいる人はすでに一度は読んだことがあるものばかりかもしれない。最近のエッセイはちょっと理屈っぽくなってきて、私には時に読み切れないものもあるけれど、この頃の文章は心地よい。オーディオっていいなぁ、ジャズって熱いなぁと思える。オーディオの世界で暮らす人には、ぜひ、読んでもらいたいと思った。
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